7月度学習会
・日時:7月31日(日)13:30~ (菜の花ホール)
・テーマ:「精神科医が診るひきこもりについて」 鎌倉メンタルクリニック 渡辺克雄先生
・質疑応答
<講師プロフィール>
精神保健指定医 精神科専門医、指導医、日本医師会認定産業医(鎌倉医師会所属),聖マリアンナ医科大学出身 医学博士 ・所属学会:日本精神神経学会、森田療法学会、日本心療内科学会、芸術療法学会、臨床美術学会
<おたより>
近代看護の母といわれるナイチンゲールは、「よい看護婦について」こう語っています。
「患者に向かって、どう感じているか、どうして欲しいか、といった質問などめったにしない」。「患者の顔に現われるあらゆる変化、態度のあらゆる変化、声の変化のすべてについて、その意味を理解《すべき》なのである」。(『ナイチンゲール言葉集』現代社)
さらに続けて、「もしあなたが観察の習慣を身につけられないのであれば、看護婦になるのをあきらめたほうがよいであろう。なぜなら―それはあなたの天職ではないからである」。
かつてウクライナ領だったクリミア半島(現在ロシアが実効支配)で起きたクリミア戦争当時(1853~1856年)。次々と死んでゆく傷病兵のニュースを本国のイギリスで伝え聞いた彼女は、自ら38人の看護婦隊を編成し、野戦病院へ志願していきました。赴任した病院は、鼠(ねずみ)や虱(しらみ)、ばい菌などが蔓延する劣悪な環境で、次々と運ばれてくる傷病兵はその傷のためでなく、病院の不衛生から発するコレラやチフスで亡くなる方が多かったといいます。
こうした想像を絶する戦地での経験を通して著されたのが「看護覚え書き」(1859)です。これについて彼女は、「看護婦」のために書いたものではなく、女性のために書いたのだと言っています。なぜなら、「女性は誰でもその人生のいろいろな折に看護婦にならなければならない」からだ、と。
彼女にそう言わしめたのは、思うに、鈍感さや傲慢さに加え、責任回避と保身しか念頭にないような男たちがあまりにも多く、当てになどしていられなかったという事情もありそうです。「人間の言葉のうちで『私は知りません』ほど情けない言葉はありません」という彼女の責任感こそが、知恵を生み、力を生み、自分の境涯を大きくしていったとも言われます。
いま彼女が生きていたら…ウクライナ紛争のためにきっと何か行動を起こししたことでしょう。